「べき」に囚われる苦しみ

子育てをするようになり、自分の両親との関係性を何度も考えます。

とてもガックリすることが度々起こります。

自分の中で無意識に思っている「べき」に囚われて、相手もきっとこうだと思い込んでいるからです。

みんな自分が正しいと思っており、相手も同じ考えに違いないと思い込んでしまうと、

問題は起こります。

子育てに一生懸命になっていると、自分の親にもこうしてああしてと言いがちになります。

私自身はそんなに子供を縛り付けているつもりはなくても、

日頃の行動が自分の母親から見ると息苦しいそうで・・・。

私は自分の母親に気持ちは汲みとってもらえないと感じることがあります。

今でも思い出すのは、3人目の子供を妊娠中のときのこと。

つわりが辛くて上二人の子供の面倒を見られないという限界を迎えたときに、

親を頼って3週間ほど実家に滞在しました。

私の子供への接し方が息苦しいといわれ、親への注文も多く、

これ以上面倒は見られないといわれたことがありました。

私は最低限のことをお願いしたつもりが、そのことすら親へ負担となっていたよう。

できるだけ親に頼りたくないとギリギリまで我慢しての帰省だったにも関わらす、

体調が悪いまま自分の家に帰ることに。

吐き気を催しながら、帰った時の悲しみが忘れられません。

こんなに体調が悪くて苦しいのに、親に家を出て行けと言われた時の悲しみ。

たとえ親に負担がかかっていたとしても、私の体調不良を気遣われることもないとは。

子育てをはじめてから、親に対する同じような事柄を繰り返してある時思ったのです。

私の中の「べき」が苦しみを生んでいるのだと。

自分の親のそういったスタンスが変わることはまずないでしょう。

自分の親だからこうあるべきだということを私が親に無意識に求めすぎていたのだと思います。

親だったらこうして当たり前だと思い込んでいることが、私の苦しみを生み出すのです。

すぐ忘れて、同じことをいつも繰り返したりします。

忘れてしまっていたり、ものすごく気を付けていても無意識のレベルで「べき」現れます。

そして、いつも「べき」という観念にとらわれていたと後から気づくのです。

親には感謝することもたくさんあります。

ただ、修行中のため「べき」がちらちらと現れて、私の心を乱します。

「べき」から解放されて、幸せに楽しく過ごしたいですね。

日々精進です。

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