思考から逃れられない時は

夢の実現方法

目的地があるのなら

一通り考え切ったあと、あとは手放しだと思っていました。

世の中の理不尽さを感じて、苦しんでいる自分の脳。

たくさんの感情の中の、怒り。

素直に正直に話すのなら、

ずっと私は怒っていた。

本当は怒っていた。

とてつもない怒りを感じていたから、途方に暮れていた。

私以外の人たちが、

私の代わりにたくさん怒ってくれた。

私は運が良い。

周囲にそういう人たちがいて、

私はなんと運のある人生を送っているのだろう。

世の中、孤独に怒りと戦っている人もいるのかも知れないのに。

私が次の新しい扉を開ける事ができたのは、

周囲で見守る人たちの存在に、

勇気づけられたから。

怒りの感情の形をできるだけ丸くて軽いものに変えて、

そっと無意識にしまいこむ。

間違った存在に変えないように、

注意を払いながら。

平穏が取り戻された。

自分だけの目的地へ向かっているのなら、

どんな道も正解になる。

どんな道だっていい。

あるものを見る

健康だからこその、仕事での悩み。

健康でなければ、仕事もできず、仕事で悩むことすらできない。

仕事がなければ、仕事で悩むことすらできない。

子どもがいるからこその、こどもの悩み。

子どもがいなければ、子どもで悩むこともできない。

パートナーがいるからこその、悩み。

パートナーがいなければ、パートナーに悩むこともできない。

生きているからこその、悩み。

あるからこその、悩み。

無くなったものは、もう悩むこともできない?

記憶の中で思い出すことしか、無いのだろうか。

記憶の中で、形を丸くしてしまっておくことになるのだろうか。

無いものばかりを見ていないで、

有るものを見て。

人にとって最も大切なものは、命だと。

命さえあればもうそれでいい。

老子は言っていたらしい。

足るを知る。

生き物として生きていくために

考えすぎた時は、ただ歩きましょうという人もいるけれど。

動物だから、散歩がいいと思っていたけれど。

散歩は大好きだけれど。

世の中こんな切り替えをする人もいるようで。

「今日は何食べようかな?」

目から鱗。

人間、動くだけじゃなくて、食べることも必要でした。

そういえば、

夫と出会ったっころのことを久しぶりに思い出しました。

何年もそれどころじゃなかったので、そんなことすっかり忘れていました。

食欲がない時期に夫と会って、

美味しそうに食べている夫を見ているうちに、

いつの間にか楽しく美味しくご飯が食べられるようになって、

食べる楽しみを感じるようになったこと。

そんな重要なことを、すっかり忘れていました。

過去の偉人たちのアドバイスも本当に価値のあるものだけれど、

近くにいる人の話を聞くのも素敵なこと。

最後は自分で自分を助けにいく。

でも、その時に一緒にいてくれる人がいると人はもっと良く生きていけるのだろうというのが、

私自身が信じていること。

あなたはどう生きていますか?

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